「風信帖」で有名な空海さんの20代
この記事では、「風信帖」の筆者として有名な空海さんが20代で悟りを開くまでのお話について、さくっとまとめています。
空海さんって、あの、風信帖を書いた人だよね。知ってる。書道の達人なんだよね。
そうそう。「弘法も筆の誤り」っていうことわざに出てくるくらい有名な人だよね。どんな人なんだろう。
空海さんは香川県出身!
774年※所説あり(奈良時代)、讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺市)で産まれました。
父親は佐伯 田公(さえき の たぎみ)という人物で、地方官僚として地域を治める仕事をしていました。
生まれたときに付けられた名前は眞魚(まお)といいます。
勝手なイメージで中国人だと思ってた・・・香川県生まれなんだね。日本人じゃん。
空海さんは7歳のとき絶壁から身を投げる。そして天女に助けられる!
空海さんは7歳の時、
『私は仏門に入り世の中の人々を苦しみから救いたい。この願いが叶うならば、お釈迦様、どうかお姿を拝ませてください。願いが叶わないならば、一命を捨ててこの身を諸仏に奉げます』
そう唱えながら生家近くにある捨身ヶ嶽(しゃしんが だけ)という絶壁から身を投げたそうです。
すると、大きな光の中にお釈迦様が現れ、羽衣を身に纏った天女が降りてきて空海さんを抱きとめ元居た場所に戻しました。
助かってよかったね。
こうして、空海さんは7歳の時に仏門に入る決意をしました。
空海さんは勉強ができるエリートだった!
788年、14歳のとき上京します。当時の首都は平城京(奈良)です。
15歳になると天皇家の家庭教師をしていた叔父について学問に励みます。
余談ですが、空海さんが生まれた頃、こんなことがあったようです。
仏教修行で悟りを開き、空海と名乗る。
19歳を過ぎた頃から本格的な仏道修行に入っていきます。
また、この時期から「虚空蔵求聞持法」(こくうぞうぐもんじほう)という荒修行をするようになります。
なんじゃそりゃ。こうくうぞ・・・・ぐもん??
山中など静かな場所で、決められた作法にのっとり、虚空蔵菩薩の真言(呪文のようなもの)を、毎日毎日唱える。合計100万回唱える。
この修行法を成し遂げた者はあらゆる経典を瞬時に理解して記憶する能力が得られるといいます。
空海さんは、ある日、土佐の室戸岬にある御厨人窟でこの修行していると、明けの明星である金星が口の中に飛び込んでくるという体験をします。
えっ・・・・大変だったね
『このとき御厨人窟の中で空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗った。』と伝わっています。22歳のときだったそうです。
20代前半にして悟りを開いたのね!!!すごい人!
参考にしたサイト